播磨平野にそびえる五重の宝塔

 お寺と言えば、葬式や法事の時だけに行くものと考えていないでしょうか?

それはそれで大切な出遇いでもありますが、本来、こうした私の心のありさまの中に、まことの姿を問いかけてくれるところが、寺との始まりだと思うのです。昨今、世の人々とお寺との付き合いが減少しているようです。しかし、人がご先祖様を敬い、亡き人を慕う心は今も昔も変わりありません。大切にしたい心です。その心を、仏さまとの「縁」として確かなものにしていくこと。おおいなる願いであります。お寺は仏の教えに出遇う場所です。しかしその大切な仏の教えが、見えにくくなってきたのが現代だと思います。それに伴い お寺の意義もわかりにくくなっているようです。単に文化財としての価値しか見なかったり、 中には無用のものなどという残念な意見さえあるようです。

 

空海さまの教えに出遇う。人と人の心に出遇う。そして、私の歩むべき道標を聞かせて頂く。そして実在のお寺の意義を見出して頂きたいと念じております。だれでも気軽にお参りできる「開かれたお寺」を目指し、日々精進を続けて参ります。

 

                              南無大師遍照金剛

住 職  ごあいさつ

宗派 高野山真言宗について

 真言宗は、大同2年(807)平城(へいぜい)天皇から立宗が認められ始まった。お祖師様は、弘法大師空海。 密教の教え全てを伝授されて唐から帰国した空海は、弘仁7年(816)嵯峨天皇から高野山(こうやさん)を修行の山として、また苦悩する人々を救済する為と勉学、行政の寺として東寺(とうじ)が下賜され真言宗本山が出来上がった。 所依経典は、密教教学の経典として「大日経」、自ら実践して仏の世界をつかむ手法を示す経典として「金剛頂経」、密教世界の仏の境地や衆生の境地を示す経典として「般若理趣経」があります。 空海は、仏の悟りの世界は、衆生である実践者の心の中にあると説き、自ら自己の心を見詰め、磨きあげることで法身大日如来の世界に到達できると説いいます。大日経には、自らの心を磨こうとする「菩提心」、自分以外の他者を救済しようとする心を「大悲」、社会や他者に対して仏様の心を実践しようとする「方便」とする三句の法門を説く。 尚、庶民である衆生にとっては、なかなか簡単には法身大日如来の世界を理解できない為に、庶民にとって分かりやすい現実の生活や悩みに即した仏様を大日如来の化身として留出する。それがいろいろな形を持った観音菩薩、地蔵菩薩、不動明王、毘沙門天等の仏様の姿や形をして現れるのである。そして、庶民それぞれの願いに即応した菩薩、明王の仏様に向かって悟りの世界を掴んだ阿闍梨(あじゃり)さんである僧侶に働きかけて願いを届けてもらうのである。 そして、これらの手法を方便として用いて少しづつ密教世界に近づく努力をする宗派です。

弘法大師空海

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