播磨平野にそびえる五重の宝塔

圓満寺の歴史

■天長年間(約1200年前…平安時代初期)

■昭和46年

弘法大師空海が御修行のため全国を行脚の砌り、播磨の国阿閇の里の路傍 に奇瑞を感じ、その地を錫杖でトンと突かれたところ光明遍照と光り輝く岩 が出現し、この地を信仰の拠点と定められました。後にこの里に播磨の元・ 中本山 光明遍照山無量寿院が建立されました。巌光山円満寺は無量寿院の元塔頭寺院で弘法大師の開基であります。

 

現住職亀田龍昇が入山。副住職として円満寺の経営に尽力し、昭和57年に 土山霊苑を開苑し、引き続き本堂客殿山門の建立、その際に晋山式を挙げ25世住職、亀田龍昇となり現在に至る。

■平成5年5月

播磨五重の塔(円満寺舎利宝塔)が完成し、各階には御本尊様をお祀りし、 納骨永代供養を行っています。

■平成14年

■平成15年

本堂地下に納骨施設(舎利殿)が完成し、御本尊様をお祀りし、 納骨永代供養の納骨施設の充実を図る。

期限付納骨壇(鳳凰之間)及び合祀墓(来迎廟)が完成。販売契約を開始。

ご本尊について

 別名、観音菩薩(かんのんぼさつ)とも呼ばれ、人々を常に観ていて救いの声(音)があれば瞬く間に救済する、という意味からこの名が付けられ日本でも多く信仰されました。六観音の一つに数えられ、地獄道に迷う人々を救うとされています。苦しんでいる者を救う時に千手観音や十一面観音などの六観音や三十三観音など、様々な姿に身を変えて救いの手を差し伸べます。変化観音と区別するために聖観音と呼ばれるようになりました。苦難除去、現世利益、病気平癒、厄除け、開運、極楽往生などとても幅広いご利益があります。

聖 観 音

しょうかんのん

真言:オン・アロリキヤ・ソワカ

青 面 金 剛 童 子 庚申尊

しょうめんこんごうどうじ

真言:オン・コウシンデイ・コウシンデイ・マイタリ・マイタリ・ソワカ

圓満寺は無量寿院と共に天長年間に弘法大師により開基されたと伝えられている。創建当時の住所は無量寿院・円満寺共に播州賀古郡阿閇庄野添(旧岩光)と呼ばれていた。岩光からとった大寺の「光明遍照」山、圓満寺の「巌(岩)光」山、いずれも弘法大師巡錫時の伝承に由来する。その後 長い年月を経過した後、江戸時代の初期 全国に寺請制度が実施されるのに伴い、姫路城主より寺領地を下賜されると共に、賀古郡土山村の檀那寺と言う役目を負い、圓満寺は加古郡阿閇庄野添村字北川原に移転した。播磨鑑によれば圓満寺の本尊として「青面金剛童子(庚申尊」と記録されているが、天長年間創建時からか、江戸時代初期 現在地に移転してから奉安された本尊かは不明である。

推定するに庚申信仰は、平安初期当時の中国に憧れる僧侶や宮廷貴族により、道教を含めた諸文化がもたらされ、「庚申待ち」が宮中の「徹宵行事」として定着したことが始まりではなかろうか?

庚申信仰は十干(じっかん)十二支(じゅうにし)の組み合わせの一つで 60日または60年毎に巡ってくる庚申(かのえさる)の日に営まれる信仰行事で、元来は道教の三尸説(さんしせつ)に端を発している。人の体内にいる三尸と言う虫が、庚申の夜に人が眠るのを見澄まして天に上り、天帝にその人の罪を告げる。すると天帝がその人を早死にさせるというのである。従って長生きするためには、その夜は眠らないで身を慎むのである。これを守(しゅ)庚申と言う。三尸の説は中国では晋の時代から説かれていたと言うが、日本では平安時代の貴族社会で守庚申が行われてきた。そして僧侶の手によって『庚申縁起』がつくられるようになる室町時代頃から、次第に仏教的な色彩を帯び、庚申供養塔などが、造立されるようになった。

庚申待ちが庶民に広まると、村単位で寄合が出来、それを庚申講と呼んだ。御利益に預かるためには、とにかく寝ては駄目だということで、飲食をしたり太鼓を打ち鳴らしたりで、庚申の夜を眠らずに過ごしたようである。

江戸時代に入る頃には仏教では青面金剛童子や帝釈天を、神道では猿田彦大神を本尊として祀り始め、庚申講の祭礼は大いに栄えたようであるが、現在は往年の勢威はすたれている。

上記の経緯を考える時、圓満寺の本尊青面金剛尊は、民間に庚申講の祭礼がひろまった江戸時代初期、野添村字北川原に転居した新寺に本尊として迎えられたのではないか。

庚申待ちのご本尊青面金剛尊のご真言は

 「おん・でいば、やきしゃばんだ・ばんだ・かかかか・そわか」

曼荼羅中、東方に位置する仏教守護の夜叉神である。ご真言の功徳は、息災延命・病魔退散・塞神としての五穀豊穣、天災厄除を含み、この尊の霊現はあらたかである。

またこの尊の姿は1面・3眼・6臂(ひ・ひじ)の憤怒の形象である。左手には三股叉と

棒、右手に金輪と羂索(縄)を持ち、青色の体・裂けた口元から牙が覘く、目は赤色の三眼、髪は火焔色で逆立ち、頭上にはどくろ、首にはどくろの首飾り、体には蛇がまつわりつき、また足元は2鬼を踏む…仏法守護の鬼神とは言いながら、まことに恐ろしげな姿である。

青面金剛法による祈祷を行う行者によれば、この尊を信じ一筋に祈願を込めて加護を願うものには強力な御利益を授けるが、その反面受者の裏切りについては天罰も恐ろしいものがあるとのことである。まことに、あだやおろそかに出来ぬ圓満寺の守護仏である。

過去に遡れば、圓満寺には大いなる苦難の歴史があり連続して無住の時代が続いたようである。度重なる災厄に往時の住職が近隣の老僧に助言を求め、その際に「圓満寺本尊・青面金剛尊は曼荼羅会上では、いわば外陣の仏ではないか。内陣に位置される如来・菩薩が少し厭い、避けておられるのかもしれないから、青面金剛尊には別格尊として少し位置を御直りいただいてはどうか」とのお言葉を受けて試みたところ、圓満寺内が穏やかに治まった…との伝承があるそうである。現在の圓満寺本堂では中央の厨子に聖観世音菩薩、すぐ横の厨子に

青面金剛尊をお祀りしている。青面金剛の言わば激しい御威徳を観世音菩薩の限りないお慈悲により和らげて、圓満寺は二体の本尊によりお陰を受けて存在できているようにおもわれる。洵に有り難く、永代にわたり大切にお祀りしてゆきたいものである。

 現在は1年に1度6月に庚申大祭大般若経六百巻転読祈祷法要をつとめ、檀徒の皆様に青面金剛童子のご加護と大般若加持を受けて戴き、皆様の家内安全・病魔退散・厄除祈願を行って現在に至っている。

 

 

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